結構毛だらけ猫灰だらけ

ひょんなことから魔界ーラジエントへと降り立ったエリシャは、自警団で暮らし始める

『紅、華立ちて』以下同シリーズの番外編になります。

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  エリシャという女に覚えた最初の印象を、ウァレフォルは記憶していない。

 夜間の警邏を主に担当するウァレフォルと自警団の食堂で働くエリシャとの、両者のそもそもの活動時間がまともに被らなかったためだ。当時セゼンリースではなにやらきな臭い騒ぎが頻発していて、ウァレフォルを含めた夜間の担当者は特に忙しなくしていたのである。

 新参者の女が自警団に住み込みで働き始めるにあたって、ウァレフォルとレラージェのふたりは当の女とルームメイトになるということだったから、顔合せの機会自体を設けられはした。だが間の悪いことにその日長引いた夜の見廻りを終えたばかりだった彼女は眠気が限界に達していたので、正直なところこれもよく覚えていない。

 ただ自警団の仲間たちから聞くことには、〝エリシャ〟は物怖じはせども働き者の人格者という話だったから、「よい人材が加わってくれたものだ」と好意的には見ていた。元より、ウァレフォルは人見知りをする性質でもないのだ。

 

 ウァレフォルがエリシャに対して明確な所感を懐き始めたのはそれから暫く経った、とある夜のことだった。

 朝の跫が響き始めるような深夜。いつもと同じく同室者たちを起こさぬよう軽い身のこなしで部屋に忍び込んだ彼女は、床で眠るエリシャのすぐ端を通り過ぎて自分の寝台へ向かおうとした。

 エリシャの寝具は敷布団だ。最初こそウァレフォルらと同じく寝台を用意しようかということで話が進んでいたのが、「部屋を狭くしてしまうから」とエリシャが固辞したためにこうなった。

 それはエリシャの遠慮しいな気質から出た発言だったのかもしれないし、またはそもそも自警団に長く居着くつもりもなかったからだったのかもしれない。

 ともあれ敷布団で眠るエリシャになんの気なしに視線を遣ったウァレフォルは、その素晴らしく夜目のきく視界に飛び込んできた光景に目を瞬かせた。

 

 エリシャは、掛布団にすっぽり潜り込んで窮屈そうに丸くなって眠っていた。

 

 寒いのだろうか。自分の上掛をかけてやろうかと思案して、すぐに彼女は自身の考えを打ち消した。

 顔や腹を庇うように手足を折り畳んで縮こまるさまは、どちらかといえば怯えているようにも見えた。自らを害するなにかから必死に身を守らんとする、庇護の手を知らぬ子供のようだった。

 寝息すら殺して、――いや、息があるのかさえ疑わしいその姿。死にかけの仔猫みたいなかりかりの痩せっぽっちなのも手伝って、彼女はエリシャがやたらに哀れっぽく思えてならなかった。

 

 そのときからずっと、ウァレフォルにとってエリシャは小さな子供のような存在だった。

 彼女の心の腰掛には今も、痩せぎすの可哀想な子供がほっそりとした両膝のあいだに顔を埋めて、じっと居座って離れないでいる。

 

 

***

 

 

 ウァレフォルは小さくなって眠るエリシャを起こしてやったこともなければ、その隣へ寄り添ってやったこともない。ただ、いつも時間の許す限りその寝姿を眺めてから床に就いた。

 下手に差し伸べる舌が心の傷を癒さないことを、ウァレフォルは知っている。

 それでも昏い孤独の夜に怯えて眠る少女がいることをただひとりだけでも知っている者が在るという事実こそに、なにか意義があるのだと信じたかった。

 

 その日も、彼女は例によって丸くなって眠るエリシャを見つめていた。いつもと違ったのは、エリシャが徐にころんと寝返りを打ったことだった。

 思わず呼吸を止めて見守る。エリシャは目覚めない。すやすや眠っている。

 その「くうくう、すうすう」と健やかで安らかな寝息を、ウァレフォルのすらりと立った耳は余さず聞いた。仰向けになって腕の下から広く曝け出された胸がふんわりと上下しているのを、ウァレフォルの隻眼は確と捉えた。

 

 ぐっと胸が熱くなる。

 ついでに目と鼻もなんだか熱い。

 言いようもなく、堪らない気持ちだった。

 ウァレフォルただひとりしか見る者のないその光景が、けれどもひっそりと冷たく過ぎ去ったいくつもの寂しい夜へと穏やかに手を振っているようだった。

 

 この夜初めて、ウァレフォルは眠るエリシャのすぐ傍へ躙り寄ってその寝顔を覗き込んでみた。

 真白い膚には怖気の色も苦痛の色もない。

 依然、エリシャはただただ眠っている。

 感極まったウァレフォルの毛足の長い尾が天を目指してびんと立つ。ふっかりとした尾の先がぶるぶると震え出す。

 

 なんて、なんて目立ったこともなく、面白みのない様子で眠っているのだろう。

 そうであることが、こんなにも嬉しいだなんて!

 

 全身がむずむずとする。こんなにもつまらない一大事を今にも町中に喧伝してやりたいような気持ちがするのを、ウァレフォルはぐっと抑え込む。その抑え込んだ気持ちのまま、目の前の布団のなかへ潜り込んでやった。

 布団のなかはほわりと温かく、同様にエリシャの身体もぬくぬく温かい。胸元に擦り寄ればさらさらとした手触りのネグリジェがウァレフォルの頬を包む。

 以前に比べて随分肉付きのよくなった乳房の感触と熱が、世界中の幸せを集めたみたいにじんわりと伝わってくる。

 とくとく鳴る鼓動が穏やかに深い眠気を誘う――……。

 

 

「フォルちゃん……フォルちゃん……。ごめんね、フォルちゃん、ちょっとだけ起きてくれる……?」

 

 ――さて、困り顔のエリシャに実に申し訳なさそうに起こされるのは、日課の観察から大凡数時間後のことであった。眠るうち、どうやらウァレフォルは無意識にエリシャの腕をがっちりと捕まえてしまって、放さずにいたらしい。

 遠慮がちな呼びかけと共に、細い指がウァレフォルの髪を梳いている。起こそうとしているのか寝かしつけようとしているのかよくわからんような手つきだったが、とにかく困り果てているのは伝わってくる。

 ウァレフォルはしゃーなしにほんの少しだけ意識を浮上させてエリシャを見た。緩ませてやった手のうちからすべすべした腕がいとも簡単に抜けていくのが、どうにも惜しい。

 

「起こしてごめんね、フォルちゃん。私のお布団、使ってていいからね」

 

 平謝りながらに丁寧に髪を撫ぜる手櫛の感触が心地好い。

 ウァレフォルはこるこると喉を鳴らしながら、エリシャの人差し指に鼻先を擦りつけた。

 

「……ね、エリシャ」

「なあに? フォルちゃん」

「いま、しあわせ?」

 

 思いもよらぬ問いかけに虚を衝かれた様子だった。見上げるエリシャは驚いたような顔をしていたが、すぐに頷いてくれた。

 

「……ええ。身に余るくらい」

 

 いったい、なにを言っているのだか。

 ウァレフォルは思わず笑う。

 

「余ったりなんかしやしないよ。エリシャが今『幸せだ~』って思うことは、ぜんぶエリシャのための幸せなんだよ」

「……そうかしら。そうだったら、うれしいな」

「そうだよぉ。おいらが言うんだもん、間違いないって。遠慮せず、独り占めしちゃいなよ」

 

 ウァレフォルの眠気に塗れた応答に、エリシャの甘く笑う声がする。髪から離れて今度は頬と喉を擽り始めた指の背にうっとりする。

 ウァレフォルが躊躇なくべたべたと引っつくのに釣られてか、エリシャ自身も今や彼女相手には誰に対するよりも気安く触れる。わざわざ口に出して触れ回りこそしないが、これはウァレフォルの密かな自慢のうちのひとつだった。

 

「ね~え、エリシャ……」

「うん、なあに?」

 

 ウァレフォルのひそひそ声を聞き逃さないようにと、エリシャが上体を折って顔を近づけてくれる。彼女はその隙を見逃さず、エリシャをぐいと傍へ引き寄せて耳許で囁いた。

 

「――だいすき。へへへ……」

 

 エリシャが不幸せだとしても幸せだとしても、ウァレフォルは変わらずエリシャが大好きだ。

 でも、エリシャが今この時を幸いだと思ってくれているならば、これ以上に嬉しいことはない。

 それは当然、好きな人の幸せは彼女にとって嬉しいものだから。

 

 未だ根強く満身に絡み続ける微睡みの残り香を抱き締めて、ウァレフォルはしあわせな気持ちでもう一度深い眠りのなかに飛び込んでいく。

 蕩けてゆく意識を手放す直前、最後に見えたのは、真っ赤な顔で自らの耳を押さえるエリシャの姿だった。

 

 

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 エリ+フォルはわりとお互いを猫っぽいと思いつつ、それに加えてフォルちゃ側にはエリシャに対して(場合によっては)母猫のような気持ちがあると(私が)嬉しいです。

 

 

☆辞書

 

【結構毛だらけ猫灰だらけ】

 大いに結構だ、の意のふざけた言い方。

 

【竃猫 - かまどねこ】

 冬の季語。冬になると寒さをきらって、こたつにのったりかまどにもぐって灰だらけになったりするネコのようす。

 

 

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こちらはたわちゃんさん(@yamamori_sugar)が誕生日祝いで書いてくださった自創作キャラ夢小説です。 

素適な小説と掲載許可をいただきありがとうございました!