初夢によその子が出てきただけの話


初夢がこれでいいのか???

 

――――――

 

 ――なぜこの場にいるのだろう。

 彼はふと正気に立ち返って辺りをゆるりと見回した。

 グラシアが座していたのは、舞台前に整然と並べられた長椅子のひとつだ。青空劇場とも呼ぶべきか、屋根のない野晒しの舞台の上、開かれきった絞り緞帳を境として現実とは異なる時の中で由縁のない他者の姿を演じる役者たちは生き生きと動き回っている。

 わざわざ劇が観たいと思ってここに来たのでは――ないと、思う。記憶は霞がかって朧気だ。

 彼らがどんな劇団であるのかも、舞台上では今どんな物語が繰り広げられているのかも彼にはわからない。十秒か二十秒か、なんとはなしにぼんやりと眺めてから最早義理は果たしたとばかりに立ち上がろうとしたのだが、結局グラシアの薄い尻が座席から離れることはなかった。その暖かみのある琥珀色の瞳にとある母子の姿を捉えたからだ。

 子供のほうはまだ十にも満たないような幼児だ。観劇は初めてなのだろうか、はしゃぎ身を乗り出すように舞台に見入っている。すぐ隣に脚を揃えて座る母親はそんな子供を諫めながらも我が子を慈しむように嫋やかに微笑んでいる。

 その慈愛に満ち満ちたうつくしい微笑が、彼の関心の欠片をほんの少しだけ奪ったのだ。

 彼にとっては、彼女が劇の内容よりもよほど現実離れした存在に見えた。世の痛みや苦しみから全て解き放たれたかのようなただ穏やかで甘いだけの微笑み。

 その様子を見ているだけで、知らず知らずのうちに彼の唇にも薄い笑みが刻まれる。

 

 人が微笑んでいる姿はよい。

 素直にそう思う。

 だって静かに目を閉じて、口を閉じて――まるで死んでいるようだ。

 

 結局琥珀色の眼差しは彼女に縫い止められたまま、グラシアが劇の終わりまで席を立ち上がることはなかった。微笑みながら、彼はいつまでも苦渋の常世の香が薄い彼女のうつくしい笑顔を見つめ続けていた。