金色は未だ帰らず


 

 白金の落日を目掛けて真っ直ぐ伸びる黄金の地平線。

 眩く光を照り返しながら暮れ始めた空に群れなす無数のうろこ雲は、騎馬隊が兜を光らせ凱旋する一国の黎明の訪れを真上から写し取った荘厳な絵画のようだ。この男でも空を眺めることがあるのだな、そう思って視線を追った先の光景に、これならば致し方ないかと一人納得する。そうして私は再び隣に立つ彼の方へ向き直った。

「華族の髪が熱を帯びるとどうなるかわかるか?」

 こちらを見ず発せられた言葉の唐突さに面食らう。華族とは彼の、アンドラスとその妹らの一族を呼ぶ名だ。

「確か……退色する。金だか白だか覚えていないが」

「なんだ、ロイドか? なんでも他人にホイホイ教えやがって――正解だ。段々色が明るくなって最後は黄金色になる」

 ぶっきらぼうな物言いに反して、その横顔は随分と愉快そうだ。

「丁度あの辺の雲がそんな色だ。炎を使って戦う俺たちにとって、金は戦士の色なんだ」

 言いながらうろこ雲に顎をしゃくるその背では、均等に編み込まれた長い三つ編みが、影になってなお鮮やかな紅色で揺れている。なぜ急にそんな話を、と私が口にする前にまた彼が言葉を発した。

「俺たちがこの街に来てからもう十年は経ったよな」

「……ああ。そんなものだ」

 なんとなしに合点がいった。十年。私たち水精にとってはなんでもない一時だが、肉体に縛られる彼らにとって、この数字の重みは恐らく違う。つまりは郷愁か感傷か、そんなものに駆られているのだろう。

 

 アンドラスが華族の一部を率いて我々の陣営に助けを求めやってきたのは、初めてこの魔界にくるほんの数日前だった。人間や影精との戦争に辟易し、マウラプトの竜に導かれて一族で魔界へ亡命することに決めていた我々水精は、似たような境遇に苦しむ彼らを快く迎え入れた。水精は既に各地に離散しており、散り散りになった彼女らを迎えに行くためにも、何度か魔界と地上を往復する必要がある。アンドラスが連れてきたのは女子供中心の非戦闘員ばかりで、それ以外の一族は皆戦争に行ったと彼は言う。共に迎えに行くかと聞けば、その必要は無い。俺たちは一族から逃げてきた、彼らも自分たちの助けなど欲していないのだ、と。曰く、華族において誇りのために戦わない者は、一族の恥さらしなのだ。

 

「レラたちをここへ連れてこられて、本当に良かったと思ってな。これでもあんたたちには感謝してんだ」

 その郷愁に気づいたからか、それとも夕日に顔を背けたからなのか。今度こそこちらを向き直り笑って見せたその顔から、先程までの剛毅は失せていた。彼がこうして胸の内を話すのは、非常に珍しいことだった。

「今更何を言うかと思えば。それに私たちとて竜に連れてこられた身だ。救われたのは同じだろう」

 困惑しつつもその心中を察する経験は持っていると自負する私は、彼の寄る辺になる機会を与えられたようで喜ばしくさえ感じた。種族として成人しているとはいえ、華族の寿命を遥かに超える私からしてみれば彼らは皆、幼子に過ぎない。ここまで弱音を一切吐かずに仲間を率いてきた彼を尊敬する気持ちこそあれ、少し哀れにも思っていたのだ。

「ああ。おかげで今はすこぶる平和だ。女も子供もみんなが笑って過ごせてる」

 数年前に自警団長のスキアスが行方をくらましてからというもの、アンドラスは団長代理として受け継いだ業務を日々を立派にこなしていた。彼の言う平和もその努力あってのものだろう。

「けど、な。平和すぎて時々我に返るんだ。自分は戦えるのに、戦えない奴らを助けるためと言い訳をして逃げた。その俺がこんな呑気に笑ってて良いのか? 本当は皆と一緒に戦うべきだったんじゃないか? 未だに自分のしてきた選択に自信が持てねぇんだ」

「私はお前が逃げたとは思わない。今でもこうして苦しみながら、大切なものをしっかり守っているじゃないか。仮にお前が戦いに出て、戦場で誰よりも多く敵の骸を作り一族の英雄になったとして、誰も生きて帰れはしなかっただろう。誇りを失い卑怯者と罵られようと、生きて家族を守ろうとするお前を今更誰が責めるんだ」

 気がつくと、辺りはいつの間にか燃えるような夕焼けの色をしていた。先程まで頭上近くにあった雲の群れは今しも真っ黒な大地に飲み込まれようとしている。

「……ああ、そう。すまん。俺も間違ったと思ったことは一度もないんだ。ただ……なんだかな、見た目が変わらねぇとどうにも忘れちまうが、十年も経ちゃ俺も歳をとるのかね」

 そう言って、アンドラスは視線をふいと地平線に逃がすと再び黙り込んでしまった。濃紫の混じり始めた夕空のもうどこにも、黄金色の戦士たちの面影は見当たらなかった。

 

 粛々と平和を紡ぐ傍らで、望郷と一族の最期を忘れたことなどひと時もないのだろう。そうまでして彼が戦場に想い焦がれるのは、果たして一族の者として同胞を見捨てた後悔のためなのか、それとも、その恵まれた戦いの手腕を奮わんとして戦士の魂が疼くためなのか。いずれにしても小さな瞳の奥底では、栄光に命を燃やし尽くす愚かな同胞たちの幻影があんなにも眩く見えているのだ。私にはそれが、ひどく悲しいことに思えてならない。

 

「三十ぽっちが生意気を言う」