忘れられた地


 全面スレート貼りの黒々としたこの住まいは、度重なる増改築によってかつての荘厳な面影をすっかり失い、精彩を欠いた乱雑な構造物は遠くから見れば切り立った断崖の一部、あるいはゴミ山に突き出た廃材のようにも見える。廃材—―もとい梔子屋敷と、かつて呼ばれたその邸は、岩肌を剥き出しにした厳めしい急傾斜が冠を戴くようにしてその天辺に鎮座していた。岩山の裾にはそこに追従するように張り付いた黒い森が、また背後の崖下は果てがあるかどうかすら分からぬ絶海へと続いている。山裾の木々は、黒い海に蠢く無数の海藻と見え、海風の吹くたび屍人の手招くようにその不気味な体を揺らしていた。曇天の暗澹とした視界の中、旧道沿いに植えられた梔子の花だけが異様に白く浮き上がり、夜の水面に月が落とした光の粒のように瞬いている。真昼でも暗い、「忘れられた土地」。ここ、ワーベイグ南端コルタブルベンはまさにその意味に違わぬ場所だった。
 大家リオンバルト家がその隆盛を失ってからこちら、彼らの領地であるこの山岳一帯からはみるみる住人が減っていった。多くは経済不況を理由に明るく豊かな土地へと移り住んだが、それすらも叶わなかったごく一部の貧しいものたちは、嘘か真か集団でこの暗い森に命を捨てていったのだという。数千余年が経った今でも、死者の怨念が産んだ生温い風の声は、廃墟と化した町を抜け、黒い森中に木霊している。今となっては、人も動物もいないこの場所には魔物でさえも寄り付かない。
 
 自身の生家へと至る暗く狭い一本道を登りながら、ライムは一人考えていた。さて、今度はこの愚かな従兄を一体どこに埋めようか。ズタ袋から時折聞こえていた呻き声も、気が付けばもうずいぶん前に止んでしまった。近頃では、”こういったもの” を運ぶのにわざわざ隠し立てをするのも面倒になっていた。今更誰と行違うこともないだろう。しかし、この確信はいとも簡単に裏切られる。
 
「梔子よ、ずいぶんと辺鄙なところへ来るんだな。」
 
 いつの間にか、目の前に女が立っていた。考え事に気を取られて気が付かなかったわけではない。隠密行動は彼女の最も得意とするところなのだ。その剥き出しの、艶やかで硬い蹄がどうやって音も立てずに地面を撫でるのか、ずっと疑問に思ってきたものだ。殺気はない。かといってこの場所へ、ただ話をしに来たわけでもないのだろう。
 
「……ええ。実家へ顔を出しに行くのですよ。久しぶりですね、お師さん。」