冠の子


 貧民街の奥の奥、最下層のごみ溜めには似つかわしくない煌びやかな装束は、その裾を侍従二人の両腕で持て余すほどだった。刺繍に留まる金銀宝玉がホシユリ灯のか細い光を集めては、廃墟の壁を方々照らし出し陰鬱な夜道を鬼火のように彷徨っている。堂々とした足取りで、その泥と糞にまみれた道ともつかぬ道を闊歩するのは、今代王皇帝ヨカナンその人であった。引き結んだ赤紫の唇とそれを縁取る濃く艶やかな鈍色の髭、その姿は威容に満ち、深い皺に関わらず瞳は少年のように好奇の色に満ちている。王から皇帝へと、自身を押し上げるに手段を厭わない彼は、その足がどの地を踏み躙ろうと変わらない支配者として一種野蛮なほどの自信を常に身にまとっていた。しかし今現在、そんな傲慢な王が自ら尋ねる先と言えば、崩れかけの玄関扉が心許なく岩屋の口に張り付いているだけのほとんど壁らしき壁もない洞穴住居なのである。それどころか木板を軋ませ出てきた痩せぎすの女は、ただでさえ黒い顔を一層曇らせ、目の前の男が何であるかも構わずに追い払おうと睨みつけた。王は至って穏やかに、しかし簡潔に要件を述べた。
「突然の訪問、失礼した。そなたは、稀なる瞳を持つ子供を知っているか。」
「……知っていたらどうする。」
「話がしたい。連れてこれるか。」
汚れやつれた泥壁のような顔を歪ませて、女は高貴な人の申し出を無言で拒絶する。それでも王は引き下がらない。しばしの無言の応酬の末、女に手渡されたのは王の頭上に今しがたまで載っていた王冠そのものだった。女は今や澱んだその目を爛々と輝かせ、産み落としたその日から今の今まで「ヤー(おい)」「ドマ(お前)」としか呼んでこなかった息子を倉庫の奥から引っ張り出すのに、
「おいで、イクリールや。」
と初めて意味さえ忘れたその名を愛おしげに呼んだ。母親にとってわが子の価値はその手に乗せたイクリール(王冠)と同等だった。
 
 得るものを得、捨てるものを捨てた女は、王にも、ましてや哀れな子供にさえ一瞥もくれずに再び扉の向こうへと去っていった。こうして取り残された、名前にそぐわず全身灰色の痩せた子鼠のような彼は、初めて見る絢爛の貴人にただただ怯えるばかりである。
 王は言う。
「私を恐れるな。そなたは今日から我が息子、いずれ浄土の支配者となる我が一族の正統な継承者となるのだ。」
 恐る恐る少年がその顔を上げると、不意に王の両目が見開かれた。少年の獣油と血にまみれた髪の間から覗く両の瞳、その昏く深い輝きは、先ほど手放した粗悪な装飾品のガラス玉とは比べようもない。左には夕立の雲のような菫色、右には燃えた夕陽が闇夜と交じり合う時の濃く鮮やかな紅の宝玉が、それぞれ見知らぬ男を映し不安そうに揺れていた。王皇帝ヨカナンは高らかに笑った。
 
「おお、レサト、この世で二番目に崇高なる者よ。そなたは今日からこう名乗るが良い。レサト・イグノール、世を統べる者の名だ。」