白犬簿〈1〉


 
――それでは仕方ありませんから、あなたにだけ、「これ」の持主との昔話を致しましょうか。
少し長くはなりますが、先に問うたのはあなたの方なのですから我慢してお聞きなさいな。
 
 彼の名はラルティシアス・フィーグナー。旧竜字軍の第六大隊隊長を務めた軍人で、マルコシアスのお祖父様にあたる人です。彼と僕とはさほど遠からぬ親戚同士だったのですが、これはかなり後になって明らかになったことです。当時、僕はワーベイグの田舎、彼が都に住んでいたこともあり、僕らは赤の他人と言って差支えがありませんでした。そんな彼と懇意に話をするようになったのは僕が都へ上ってからでした。
 その時は魔界各地で魔孔の出現が相次いていたのもあり、魔界医療の水準を底上げする勉強会という名目でワーベイグの医術院から医師が何人か竜都に召集されたのですが、研究生ながらその中に僕も混ざっていたのです。他の医師や研究生は宿屋や軍の寮に空き部屋を借りて寝泊まりしていましたが、僕はというと都の軍医の紹介で当時大尉であった彼と出会い、彼とその家族としばしの共同生活を送ることになりました。見ず知らずの田舎者の為に喜んで自宅に一間と家具一式、日に二度の食事まで用意してくれるのですから、彼のお人好しは生まれながらのものなのでしょう。その優しさもさることながら、他人への気配りや類まれな指導者としての素質から周囲の信頼も大変厚かったと聞きますし、当時院生であった僕より少しばかり年上という年齢で、これまたお似合いの淑やかな女性を妻に持ち既に一児の父として一家を支える大黒柱であったのです。また彼は、優秀な軍人でありながらも非常に学のある人でした。そんな非凡な若者でありつつ、歳相応ともいえる茶目っ気と人懐こさを兼ね備えた様が彼の真の人気の由縁であったのかもしれません。
 
 僕は研究生として、昼は医師たちやその助手を務める年上の研究生の補佐をしつつ、夜は彼の尽きぬ知識欲に持てる限りの知識で答え、僕自身不明瞭な点については共に論議なども交わしました。時にはそれが明け方まで白熱することもありましたが、何しろ二人とも若く好奇心旺盛でありましたから、互いに遠慮や尻込みするなどということもありませんでした。確かに部屋と食事の礼にとの思いも少なからずありましたが、何よりも僕自身、彼の闊達ながら如才ない人柄に大きく惹かれ熱心な話しぶりを夜毎の楽しみとしていたのです。医師隊が都へ上って六月あまりで勉強会は会期を終え、僕も実家と医術院のある地方へと帰る時がきました。それからは以前と変わらぬ日々が戻ってきましたが、一つ変わったのは年に一度か二度の頻度で彼が僕を訪ねてくるようになった事でした。帰って何年としないうちに僕は院を卒業し、実家を継いで開業医をしていました。その時には彼も昇進し、一個中隊を率いるようになっていました。お互い忙しい身ではありましたが、仕事の合間を見つけてはわざわざワーベイグの地方まで出向いてくれる彼を僕も精一杯もてなしました。とは言っても、彼はあの性格で酒を飲まず、その代わりに茶によく通じている変わり者でした。訪ね来ては土産にと言ってロンスタンツ産の様々な香りの茶を持ちこみ、当たり前のように我が家の厨で湯を沸かし始めることもしばしば、傍から見ればもてなされているのはむしろ僕の方であったかもしれません。もうその頃には、僕と彼とは親友と呼ばれて差し支えの無い間柄でありました。それでもただ、彼は僕と仲がいいからおしゃべりの為だけにわざわざ寂れた山奥まで来ているというわけではありません。ワーベイグの北東部は古くから狗一族の土地であり、フィーグナー家の大半もその南半分に住まいしています。若くしてその大家を率いる長たる彼は、近頃なにか厄介ごとに巻き込まれているようでした。どうやら反竜勢力と呼ばれる反政府家達が各地で密会を執り行い不穏な動きをしているというのです。軍人としての彼の管轄からは少し外れた内容ですが、家長としての彼は、密会場所を血族の者が提供しているという噂を確かめないわけにはいかなかったわけです。きな臭い話にはとんと疎い僕ですから、彼の話の半分も本当の意味では理解していなかったかもしれません。それでも彼が血族の数多住むこの田舎で宿を求めるにあたって、真っ先に僕を頼りにしてくれるというのは誇らしいことでした。できるだけ力になれるようにと、ご覧の通り……得意ではないながら、一部屋だけはなんとか常に人の泊まれる体裁を整えてみたりもしたものです。
 
 こうしてまたしばらくは平穏に過ぎました。平穏にとは言ってもその間も各地で魔孔は開き、魔物との攻防は度々ありました。実際、彼の部隊も何度も遠征に出かけていましたし、僕の元にも怪我人が運ばれてくることがありました。しかしあの時の、魔界全土での魔孔の頻出とその後に起こる大災厄を考えれば、僕にはたった一時の安穏の日々だったと思えるのです。
 
 僕の母が病床に伏したのは、未だ強い日差しの面影が残る秋の口でした。僕は養い子でしたから、彼女の本当の息子ではありませんでした。彼女は素晴らしい才能に溢れた医者でしたが、大変な嫌われものでした。母親らしいかと言えばまったくそうではありません。冷血、無情、こんな言葉が似合いの女性でした。僕の他に彼女の産んだ子が三人いましたが、彼らの誰も母から満足に慈しまれず、また彼女を満足させることが出来ませんでした。それは僕も同じでした。彼女の思い描く理想の医師、天命の治癒者を生み出すことが母の人生における唯一の望みでした。幼くして彼女に見初められた僕だけが彼女を師と仰ぎながら来る日も来る日も医術の勉強に励みました。とても温かな家庭であるとは言えませんでしたが、僕は彼女を心から尊敬していました。そんな母を蝕んでいったのは、進化を断たれた魔界の医療技術では到底治すことの出来ぬ病です。母は病を強く恐れていました。今思えば、彼女があれほどまでに忌避したそれは死ではなかったのだと思います。母の母の、そのまた母から伝わるこの呪いの血脈を絶てぬ世界、その法の鎖こそ、彼女が断ち切りたかったものなのだと、今の僕にはわかります。死の間際に至って漸く、母と疎遠であった姉や父でさえ「せめて最期だけは」とでも言わんばかりに家族らしく振る舞おうとする姿が増えました。しかしそんな中でも僕だけは、家族ではなく彼女の教え子であり医者でした。あらゆる場所へと奔走し、殆ど寝食を蔑ろにしてでも己の出来うる限り最高の努力を尽くし彼女を救おうとしたのです。そうする事こそが、僕を育て医者に仕立てた彼女へ恩義を報いる術だと思ったからでした。その間も親友であるラルティシアスは僕の元を訪れましたが、当然といった具合で共に母の病を恨み、解決策を探し、僕の体調をも気遣ってくれるのでした。
 母が亡くなったのはその翌々年、北からの季節風が冷気をまとった薄ら寒い秋の日でした。山並みに掠める程低い曇り空がまるで母の世界に蓋をするように、長いこと天井いっぱいにとどまっていたのを覚えています。一雨来るでもなくただただどんよりと湿気た曇天の下、行われた葬儀に家族以外の参列者はもちろんいません。若くして医者として大成した彼女が救った沢山の命は、その時もどこかで生きていたというのにです。葬儀の終わるころ、ラルティシアスは当然の如くに僕の家の門の前で僕が帰るのを待っていました。後で聞けば、大切な会議を欠席するために上司に何度も何度も頭を下げたのだと言います。己のことのように母の死を悼み黙りこくった彼の横で、僕は自らの長い戦いの終わりに半ば安堵すら感じてただ呆然としていたのを覚えています。別れ際、彼はしばらく都を離れるつもりだと言いました。理由はその時彼が言わなかったので、僕からも聞きませんでした。
 
 その後、数年前から病の研究に勤しむためにと兄達に医院を預けた後だった僕は、喪失感と脱力に身を委ねて何もせず悶々とする日々を送りました。もちろん、自分の患者の死を見たのは決して初めてではありませんでした。ただ、病に負けただけであればまた違っていたのでしょうが、博士と秘密の交信を重ねる中で、以前から魔術が医療と密に関われることを確信していた僕にとっては、母が見殺しにされたような思いがして哀れでならなかったのです。僕はその時初めて魔を禁ずる法律の存在、そして医療の存在意義そのものにすら疑問を抱いたのでした。しばらくして僕は一人で都へ向かい、助手として博士の世話になりました。博士は名をガーディロウという初老の紳士で、ラルティシアスと僕とを引き合わせた軍医のことです。
 そんな中で再び中規模な魔孔の出現が話題となりました。これはあなたもご存じでしょう。これが歴史に残る大災禍、クディスト・ヴェルグ〈大魔穿孔〉の前触れだとは誰も思っていませんでした。丁度世間は竜王祭の少し前とあって、祭りに向けてワーベイグと竜都を繋ぐ道はいつもの数倍の人や荷車で溢れていました。そこに魔孔が開いたのは、当然と言えば当然、そして最悪の偶然でもありました。兄たちから帰郷を促す手紙が送られてきても、僕はそれに従うつもりはありませんでした。しかし、博士は半ば強制的に僕をワーベイグへ送り返しました。僕をクーデターに巻き込まないためでしょう。後で知ったことですが、その時既に、博士を旗手として反竜勢力は都を襲撃するための準備を進めていたのです。僕が何か尋ねても彼は詳しく話そうとしませんでしたが、ラルティシアスの不在がこのクーデターを蜂起させたのだろうことはわかりました。彼がずっとこれを懸念し、なんとかして止めようと奔走していたのを知っていましたから。それでも僕自身はそれら都の内情においては余所者でしかなく、おとなしく手配された馬車に乗るしかありませんでした。
 
 博士と話をしたのは、残念ながらそれが最後でした。
 
 

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