ひょんなことから魔界ーラジエントへと降り立ったエリシャは、自警団で暮らし始める
『紅、華立ちて』『翠催す華作り』の続編になります。
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夕焼けが赤く染めるセゼンリースを、ふたりの女――レラージェとエリシャが仲睦まじく言葉を交わし合いながらに歩いている。
片や頼れる町の自警団員として、片やその雇われの従業員として働くふたりが今日こうして並び歩くに至ったのは、なにも示し合わせたからというわけではない。レラージェは自警団に持ち込まれた依頼の帰り、エリシャは毎月恒例の役所への出頭を済ませた帰り、その道中で偶然行き合ったためだ。
帰る家は同じふたりである。爪先を背け合う謂れもなく、彼女らは自然と歩幅を合わせて帰路を辿り始めることと相成ったのだった。
ふと雑談が途切れて、エリシャは隣に並んで歩くレラージェをなんとはなしに密やかに見つめた。
背筋を伸ばして、口元には仄かな笑みを湛えまでして凛と前を向く彼女の横顔は冴え冴えとしてうつくしい。短く切り揃えられた紅赤色の艶髪は町並みへ射す夕陽を照り返して、まるで火の粉で模られた花弁が舞っているように目がちかちかする。
こんなにも晴れやかな人の傍らに並び歩くことが許される幸いを、「夢の中にいるようだ」と思うことがエリシャにはある。健全な愛と幸福を知る善性の人の隣にあっては、己が身にしつこくこびりつき続ける不幸の残り香を移してしまうやもという危惧さえ最早浮かばず、歪な心はただただ夢現の幸いだけに根まで甘く埋め尽くされてしまう。
場違いだという意識は、ずっとある。だが同じくらいにただうっとりもした。こうして隣で、目も眩むような美しい輝きを瞳に映し続けることができたならどんなにか胸がすくだろうかと微睡むように思う。
そんな夢心地が、エリシャの唇を綻ばせたのかもしれない。
「――……レラちゃんの髪って、素敵ね」
あまりに鮮やかな目映さに明滅さえする視界を瞬きで慰めながら、エリシャはほとんど独り言のつもりで呟いていた。
「ふふ、ありがとう」
しかし細やかに落としたはずの言葉は一語も聞き漏らされず、レラージェは衒いなく気持ちのよい視線をエリシャへ投げかけて柔らかな微笑を返す。毒にも薬にもならないつまらぬ呟きまでもを掬い上げてもらえた驚きはあれども、エリシャはその微笑みで余計に恍惚としてしまって続けざまに囁いた。
「華族の皆さんって濃淡はあるけれど、みんな綺麗な赤髪よね。私も、こういう髪の色がよかったな」
「――エリシャさんは自分の髪が好きじゃないの?」
閃く光の錯覚がエリシャを微睡の中から強引に連れ出した。輪郭のない茫漠とした呟きと対峙するにしては過ぎて真っ直ぐに打ち返された問いに、エリシャはつい言葉に詰まった。
「……正直なところ、あんまり。だって不気味な色、してるでしょう」
つまらぬ誤魔化しで舌を染めようとして、エリシャは結局そのまま白状した。身の程を弁えぬ羨望を懐く自分は正視に堪えないが、それ以上に彼女の真摯な言葉つきに対して偽りの壁を隔てることのほうが許されざると感じたからだ。
「そうかなあ」
無言の葛藤を知ってか知らずか触れずに受け流してくれたレラージェが、エリシャの赤黒い髪をじっと見る。
「わたしは好きだな、エリシャさんの髪。ふわふわしてて可愛いし、深みのある綺麗な色で……見てるとお腹が空くし、わくわくしてくるもの」
「え、っと……?」
「不気味だ」、「悍ましい」だのとは耳が腐るほど言われてきたが、「お腹が空く」だなんて類いの言葉は身に覚えがない。
「――――夕焼け」
徐に、白いゆびさきが持ち上げられる。翡翠色の紅で染めた爪の先が、赤い空に恒星がごとく踊る。
「夕焼けみたいじゃない?」
戸惑いに足を留めたエリシャと共に立ち止まったレラージェは、天に指をさしてにこにこ笑った。
「色々やらなきゃいけない用事を済ませたり、自警団の仕事で町中走り回ったりで、『あー、疲れた! お腹ぺこぺこ!』って思いながら空を見上げると、赤い色をしてるでしょう」
「今みたいに」と空を見上げる彼女に釣られて、エリシャも白い喉を晒して顎を上向けた。空は徐々に闇夜のヴェールを帯び始めて、今や赤黒い。確かに、赤黒い。
「わたしね、この色を見ると余計にお腹が空いて、でもなんだか楽しくなってくるんだ」
そのとき、仔犬の喉を震わすようにくるくるとレラージェの腹が鳴った。心境を代弁するかのごとくの腹の虫に、彼女は照れ笑いながらに続けた。
「『兄貴の作る晩ご飯、楽しみだなあ』とか。『マルコは今日もライムさんにこてんぱんにされて拗ねてて、フォリィはそんなマルコを構ってるのかなあ』とか」
視線を中空に放って指折り数えて挙げられる言葉たちはエリシャにも覚えがある。ありありと思い浮かべられる日常に小さく笑みを溢すと、レラージェは最後にエリシャを躑躅色の瞳で虜にした。
「――あとは……、『今日もエリシャさんが、わたしに〝おかえりなさい〟って言ってくれるのかな』とかね」
意表を、突かれたような気分だった。
「でも、今日は一緒に〝ただいま〟が言えるわね。ふふ、なんだか新鮮で得しちゃった気分」
そんなことを言ってもらえるほどの自分でないことを、エリシャは誰よりもわかっていた。それでいて、そんなことを言ってもらえて素直に嬉しいと感じられる自分でないことがこの世でなによりも浅ましいことのようにも感じられた。
エリシャの顔は、不格好な笑みにもなりきらないなにかを浮かべたままで凍りついてしまう。
「……ね、エリシャさん。でも、気にしないでね」
その痛々しい氷を、どうしてだか彼女はいつも何度でも溶かしてくれる。
「エリシャさんが自分のなにかを嫌だなと思っちゃったり自信をなくしちゃったりすることは悲しいけど、そう感じてしまうこと自体はわたしには否定できないし……、それにこういう感情って、きっと理屈じゃないんだよね」
たっと軽い足取りで一歩前に踏み出したレラージェはすぐさまエリシャを振り返る。
置いていかれなどしない。彼女はきっと、こうしていつでもエリシャが傍まで追いつくのを待ってくれる。そんな烏滸がましい確信が、エリシャの胸を過りかけた。
「あのね、わたしが勝手にエリシャさんの全部を大好きでいるだけなの。それだけ」
レラージェが「それだけ」と語ることがエリシャにとってはどれほど尊く目映いことであるのか、彼女はきっと知りもしない。だからこそ、彼女はこれほどまでに耀いているのかもしれない。
「だからね、申し訳なく思ったりしないで」
そう言って笑う顔が、逆光の中でも浮き立つほどに眩しい。
――ああ、あなたこそ、夕焼けの化身のようだわ。
笑むレラージェが今にもその影の輪郭を解いて赤い光の中に溶け消えてしまいそうだと思ったから、エリシャは思わず彼女の胸の中に飛び込んでいた。
僅かな驚きを示しながらも、彼女は踏鞴も踏まずにエリシャを抱き留めてくれる。
「……レラちゃん」
「なあに、エリシャさん」
あたたかな胸に縋りつきながらエリシャは本当に小さく名前を呼んだ。そしてやはりレラージェはその呼びかけを聞き逃さずに応えた。
だから、エリシャは彼女を抱く手に力を込めることをもう恐れなかった。
「私……、レラちゃんのこと、大好きよ」
「……ふふ、わたしもエリシャさんのこと大好き。わたしたち、両想いね」
***
夕闇から脱け出して自警団に帰り着いたふたりを出迎えたのはアンドラスだ。一見キツそうに吊り上がった眦まなじりが、並び立つレラージェとエリシャの姿を目にして柔らかに和む。エリシャは自分の胸になにか沁み入るものを感じた。
「ただいま帰りました」
「おう、おかえり」
「ただいま。――ねえ、おにいちゃん、」
「ん?」
帰宅の挨拶もそこそこに、レラージェがずずいと前に歩み出てアンドラスへ呼び掛ける。
「両想い、一番乗りはわたしだからね」
「は?」
言い切ったきり満足したように、レラージェは機嫌よくエリシャの手を引いた。ぽかんとして、半身でふたりを振り返りながらも取り残されたアンドラスには、話題の核となるものがない妹の言葉はなんのことだかよくわからなかったかもしれない。だが、エリシャは彼女の真意をあり余るほどに察してしまった。
エリシャから寄せられる好意が、いかにも誉だとでも言いたげなレラージェの物言いは照れ臭く、頬が燃えるように熱を持ち始める。エリシャは強かに赤らんだ顔を隠すために深く俯いて、レラージェに手を引かれるままにアンドラスの隣をすり抜けた。
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こちらはたわちゃんさん(@yamamori_sugar)が誕生日祝いで書いてくださった自創作キャラ夢小説です。
素適な小説と掲載許可をいただきありがとうございました!